ドイツからの移民であったA. F. Meisselbachの息子August(通称Gus)とWilliamは1885年にリールを
1900年の初期にもっとも有名なTakapartリールに関する特許を取得し、同時期に小型の兄弟機種Tripartを発表している。1906年法人会社としてNew Jerse州に登記した。それまでは、リール・アク
セサリー類に販売した時の日付を刻印していた。多くのリールはモデル名や特許取得年が刻印され
ていたが、初期のリールには モデル名のみ刻印されていた。同社の人気は1900年から1917まで続
き、工場には75人以上の職人を有し、全米・ヨーロッパで販売されていた。また、同社は一般的な機
械製造も手がけ、東部を代表とする蓄音機部品製造会社でもあった。
しかし、1917年New York 州にあるOtto Heinema蓄音機供給会社(the Otto Heineman Phonograph Supply Co.)身売りされ、社名を A.F. Meisselbach Mfg. Co.へ変更、本部をNew Yorkへ移した。この時に創業者のGusとWilliamは引退し、New Jersey州で海釣りをしながら余生を過ごし、Williamは1919年、Gusは61才の時の1927年に亡くなっている。Gusは遅くに結婚したが子供は出来なかった。Williamは生涯独身であったので彼の名前を残すことが出来なかった。
この身売りの時期からMeisselbach社の衰退は一歩づつ始まり、第二次世界大戦時にいよいよ幕を降ろすことになります。
1921年リール生産工場をOhio州のElyriaに移し、1925年に一般的な機械製造部門をthe parent companyに社名を変更した。一部のリール(一番有名なOkehシリーズ)はOhioで生産されたが、1930年ころより品質の低下、古くから有名なリールは一台づつラインから消えていった。第二次世界大戦時には、一般的な機械製造部門は戦争用の部品生産へと変え、1941年リール部門の製造を中止し、戦後に復活することはなかった。この時がMeisselbach社の終焉であった。その後多くのリールデザインはOceancity社へ売却され、Hermosのラベルで生産が続けられていた。
Meisselbachの発音に関してはいろいろの説があります。リールコレクターの多くは、ミーセルバック、ミーセルボックとか発音されているようです。一部のコレクターの間では、ミサイルバックとかミサイルボックなどと発音されるケースもあります。これはリールのキャスティンがミサイルの発射のようとの説もあります。ただし、ミサイルのスペルはMissileと異なっています。Meisselbach社の創業者は元々ドイツからの移民であり、ドイツの方の発音が正しいのではないでしょうか?どうやらドイツの方はマイセルボックやマイセルバックと発音するようです。最後のスペルのchは「チ」ではなく、「ク」と発音するのはドイツ語の特徴だと思います。わたしは以前ドイツの会社と取引担当をしており、その会社名のスペルの最後は「ch」で、やはり「ク」と発音されていました。